私に伝えられた信仰③ 真実で正しい方に導かれて(ヨハネの手紙第一1章1節~10節)

0 はじめに

ミッション東北の歴史を振り返りますと、その前身、東北聖書学塾から数えて62年が過ぎました。現在は、福島、郡山、会津、須賀川と四つの教会に、三人の牧師、二人の神学生がいます。神様は、先に向かって進もうとするとき、いつも、過去を振り返らせます。私も、自分の過去を振り返った時、はっきりと、「罪の赦し」「きよめの恵み」「静まり」と三つの恵みを数えることができました。

1 罪の赦し

9節のみことばは、私の救いの約束のみことばです。牧師の家庭に生まれ、小さい時から、教会で教えられ、両親の愛と教会の皆さんの愛の中で育ちました。さぞ良い子に育っただろうと思われるでしょう。しかし、人の目を気にし、人の評価を恐れる緊張の中で、小学校の低学年には、できない事をできると、できなかった事をできたと言う嘘でつじつまを合わせた真っ暗な心で過ごすようになりました。何度もやり直そう、ごめんなさいと言おうと決心をしますが、その罪から逃れることができませんでした。しかし、中学生のある晩、神様に背中を押され、父に今までのことを全部話しました。すると父は、この聖書のことばを開いて、イエス様の十字架の意味を教えてくれました。その時、はじめて、心の重荷をおろし、罪赦されて神様との関係が回復しました。

2 きよめの恵み

大学生になり、長野県の上田市にあるインマヌエル上田キリスト教会へ通うようになりました。そこは、罪赦された後のきよめの恵みを大切にする群れでした。「神は・・その罪を赦し・・すべての不義からきよめてくださいます(9)」と記されています。原語の罪は複数ですが、不義は単数です。つまり、様々の罪を生みだす心の汚れがきよめられるということです。聖書には、このきよめの恵みが満ちています(1:7,9、Ⅰテサロニケ5:23,24、エペソ3:19)。きよめといっても、神や天使のようになることではなく、神様に全面的に委ね、心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして神を愛し、イエス様の十字架に全く信頼することです。

3 静まり

数年の社会生活の後、神学校で四年間学び、須賀川めぐみキリスト教会に赴任しました。無我夢中で一生懸命歩んできましたが、行き詰まりました。牧師である事だけでなく、生きている事自体許されないように感じていた時、静まりに出会いました。頭で考えるのではなく、身も心も静まって、神御自身が語る言葉に耳を傾けるようにと教えられました。はじめてのように、神様が私を愛して下さっている事に、神様が愛しておられる自分を愛することができない自分に気づきました。私と神様との関係が変わり、神様との温かい交わり(1:3,4)が始まる人生の大転換となりました。

4 おわりに

これからの歩みを私たちは、知ることができません。しかし、神様は、真実で正しい方ですから、どんな嵐が起こったとしても、必ず、導いて下さると信じて歩ませていただきましょう。        (2021年9月26日 舘脇 暁美 師 文章責任 木田惠嗣 師)

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