主にあって、人をつなぐ (ローマ人への手紙16章1~2節)
0 はじめに
義父・川村江弥牧師が東北聖書学塾に学び、石原兄、木田姉が東京基督教大学に在籍し、木田姉は私の妻が牧師をしている新船橋キリスト教会で奉仕をしておられるという「近さ」以上に、私たちには、もっと深いつながりがあることを聖書から学びましょう。
1 教理と実践の向こうに
① 深いローマ書の結びに
ローマ書はキリスト教の体系を最も整った形で提示し、この一書をもってキリスト教を語れるほど深い書です。その最後に、「フィベを推薦します。」とは意外です。パウロはその手紙の向こう側にいる具体的人を見つめて神学をしていました。この事は、キリスト教とは何かを如実に語ります。
② 「つなく」をキーワードに
恵みに生かされた者が、互いにつながり交わりを育てる。今日は「つなぐ」をキーワードにみことばを味わいたい。
2 人をつなぎ、支え合う
キリスト教とは、神の恵みに生かされたキリスト者が、人と人とをつないでいく生き方です。
① 「交わり」を生み出そうとの思い
パウロは、ひとりの姉妹を紹介することで、新しい交わりを生み出そうとしています。フィベという女性は、ケンクレア教会の中心的奉仕者で、ローマ教会にこの手紙を携えて行った人です。パウロは、フィベを念入りに紹介します。そこに、「どうか、聖徒にふさわしく、主にあって」という一言が隠し味のように効いています。
② 「主」を結び目として、寄り添って。
主にある信仰者とは、初対面でも親しさを覚え祈りを共にでき、支えることがます。「助けてあげてください」とは、「寄り添って」と訳すことができます。その教会の枠を超えた交わりに、感動すら覚えます。私たちの教会と、皆さんの間にも、同様のつながりが潜在的にあるのです。
③ パウロをつないだ「慰めの子」
パウロはかつてキリスト教の迫害者でした。そのため、彼が回心した後も、だれもパウロを信用せず近づきませんでした。その時、つないでくれたのが、「慰めの子」バルナバでした。この忘れ得ぬ経験ゆえ、パウロはこのように人と人をつなごうとしているのです。
3 顔の見えない人の間にも
① 会ったことのない人もつなぐ
パウロは単にフィベの紹介に終わらず、総勢26名もの人々をつなごうとします。しかも、パウロが会ったことのない人の名前までリストに含まれています。その「よろしく」というつながりに圧倒されます。その隠し味もまた、「主にあって」です。
② 「主にあって」
「主にあって」すでに出会っている。そこで、パウロはフィベを「私たちの姉妹」と呼びます。その交わりの広がりの要めは、「主にあって」です。
③ 「よろしく」「よろしく」
「よろしく」「よろしく」・・・主にあって。私からも、主にあってすでに出会っているミッション東北の皆様に、親しく「よろしく」「よろしく」とお伝えしたい。
(2021年10月15日 説教;齋藤五十三師/文責;木田惠嗣師)