愛をもって働き続けるお方(ヨハネの福音書5章9節~18節)

1 癒やされた男にかける言葉

イエスさまは,38年もベテスダの池に伏せっていた男を癒やされました。ユダヤ人とイエスさまでは,この男にかける言葉が全く異なっていました。

(1) ユダヤ人の声かけ

まず,ユダヤ人は癒やされた男に「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と声をかけました。神さまは,ユダヤ人に律法を与えましたが,ユダヤ人は,その律法にたくさんのことを付け加えてしまします。安息日も同じです。ユダヤ人は,安息日に物をもって歩くのは労働だということを付け加えました。ところが,癒やされた男は,安息日に自分の床をもって歩きました。そこで,癒やされたという喜びの出来事に対してこのような言葉を書けたのです。ユダヤ人には,人よりも,自分たちで付け加えた律法を守るということの方が大切になっていました。それは,人を心から大切にして,「7日のうちの1日,仕事をせずに,深い神さまとの交わりの中に入ってほしい」という神さまの御思いから完全に外れていました。

(2) イエスさまの声かけ

イエスさまは,「ほら,私の言葉どおりに,床を担いで歩いたらすっかりよくなりましたね。よかったね」という思いで,「見なさい。あなたは良くなった。」と声をかけられました。
そして,イエスさまいいます。「もう罪を犯してはなりません」と。すべての人の病気の原因が「何らかの罪を犯したこと」とは限りません。しかし,「もう,…」ということは,この男が38年間病気で横たわっていたのは,何らかの罪が原因だったのでしょう。いくら体が癒やされても,前のように罪の生活にもどってしまったら,前の病人生活に戻るだけではなく,その罪の故にもっと悪いものを得てしまうかもしれません。
罪の根本は神さまから離れていることです。罪を犯し続け,神さまから離れ続けた,神さまからの裁きを受けることになります。この男がイエスさまを信じ,罪から離れ,永遠のいのちを得て,本当の意味で「よくなった」といえるのです。イエスさまの言葉には,「男に救いと永遠のいのちを与えたい」というイエスさまの深いご愛があったのだと思います。
イエスさまの言葉は私たちにも語られます。私たちも,罪を犯し続ける者です。弱い者です。でも,イエスさまに愛され赦された者です。イエスさまは,私たちの罪のためにも十字架にかかって死なれました。私たちは,イエスさまが与えてくださる赦しを日々いただいて歩むことができます。日々の歩みの中でいろいろな失敗をしますが,このイエスさまの十字架の愛を深く受け止めるとき,私たちも罪から離れることができるようになります。私たちは,このイエスさまの十字架の愛を信じて歩んでいきたいと思います。

2 私たちのために働きつづける神さま

ユダヤ人にとって,「安息日に人を癒やすことも」労働としてやってはいけないということでした。そのため,ユダヤ人は,イエスさまを迫害し始めます。そのようなユダヤ人にイエスは,「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」とお話しになられました。
神さまは,天地を創造されました。その後,天地を支配していらっしゃいます。しかし,直接神の働きを現すのはイエスさまです。イエスさまが夜も昼も働いてくださっているので,イエスさまの働きによって,全ての者一切は保たれています。その支配の中に置かれています。イエスさまは,私たちの完全な救い主として働いてくださるからこそ,私たちは,その働きの中におかれて,こうして,夜も昼も安らかにあることができるのです。私のいるところにイエスさまの働きが満ちています。だから,現在の私の心の真実のままイエスさまを呼んでいきましょう。私たちは,愛をもって働き続けられるお方,イエスさまを心から信じ,その愛を受け取っていきたいと思います。

(2021年11月21日 石原俊一 兄)

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