主 こ そ 王 で す(詩編93編1節~5節)

0 はじめに

主こそ王です。王となるということは,すべてを支配するということです。イエス・キリストこそ私たちの王です。イエスさまはどのような王なのでしょう。

1 愛の力ですべてをまとめる王

王の威光という服をしっかりと締めている帯は力です。しかし,ここでいう「力の帯」は,愛です。イエスさまは,弱い人々に憐れみを示し,その人のために,献身的に働かれました。目の見えない方,足の不自由な方などこの世の底辺で生きていた人たちを愛し,愛の故にいやされました。さらに,イエスさまは,私たちの罪のために死んでくださいました。イエスさまが王として私たちを支配するとき権力はいりません。イエスさまの愛によって私たちは一つとなることができます。

2 全世界に堅く立ち永遠におられる王

神さまがアブラハムに声をかけられたとき,神さまを信じる人々が満天の星のように限りなく多くなることだれが予想したでしょうか。イエスさまが十字架によって死なれたとき,キリスト教が全世界にこのように広がることを誰が予想したでしょうか。どんなに,その時代の支配者が,キリスト教を弾圧しても神さまの計画は少しも揺るぎません。

神の子イエスさまは,いにしえから,永遠のはじめから王でした。 イエスさまは,とこしえからおられ ます。永遠におられます。そして,私たちイエスさまを信じる者に永遠のいのちを与えてくださいます。私たちは復活のいのちをいただきます。イエスさまと共に永遠に生きることができるからです。

3 どんな問題の荒波にも打ち勝たれる王

問題だらけのこの世界は,まるで騒音をとどろかせる川のようです。しかし,王なる神の子,イエスさまは,大水のとどろきにまさり力強い海の波にもまさって おられます。力に満ちておられます。私たちの思いを遙かに超えたいと高き所で一切を御支配なさるお方です。ですから,大荒れの怒濤の中で,私たちが神さまを見上げるとき,小鳥のせせらぎを聞くときのように安らかであることができます。私たちは,神さまを見上げて歩みはじめるとき,あなたの証しはまことに確かであることを体験することができます。そして,私ではなく王なるキリストの証しはまことに確かですと証することができます。

4 おわりに

イエスさまを信じ,聖なる神さまの御支配の中にある私たちは,イエスさまによって,聖なる者とされます。ですから,イエスさまを信じる私たちは,イエスさまを王とする神の王国の国民です。神さまに愛され,神さまの守りの中,この地上で,そして,いつまでも王なるイエスさまとともに生きることができます。

(2021年11月14日 石原俊一 兄)

 

 

 

 

 

 

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