神さまの御心を歩む(ヨハネの福音書5章19節~24節)

1 父なる神さまの御心だけを行うイエスさま

神さまは神さまのご意志をもたれ,さまざまな業をなされます。神さまの業には神さまの深い御心があります。神さまはイエスさまを愛しておられます。神さまの御心は愛に満ちています。神さまは人知を超えた壮大なスケールのご計画をお持ちです。そのご計画に間違いはありません。イエスさまは,そのような神さまと愛と信頼で結ばれています。ですから,イエスさまは,神さまの御心を自らの意思として行動します。ですから,神さまは目に見えませんが,イエスさまは,「神のかたち」「神の本質の完全な現れ」といわれます。

2 神さまとの関係を壊してしまった人間

神さまが人間を造られたのは,神さまと深い愛と信頼で結びついた存在をお創りになるためでした。神さまと心通い合う存在です。神さまの愛を本当に愛として受け取り,神さまの愛を心から感じる存在です。人格的な交流において,大切なことは,人が操り人形のようにならないことです。自らの意思で神さまと関わるものなること,神さまのご意志を行動するする者になることです。そこで,神さまが,アダムとエバをお創りになったとき,置かれたのが,善悪を知る木でした。
しかし,2人はこれをとって食べてしまいました。2人が善悪の知識の木から食べるということは,神さまへの裏切りでした。自らの意思で神さまとの関係を破壊することでした。ここから,人間の罪の歴史,破滅の道が始まりました。このような存在,人間を待っているのは,死です。そして,さばきです。

3 神さまとの関係を回復してくださるイエスさま

神さまをうらぎった私たち人間は,このままでは,死んで滅んでしまう者,神さまからさばかれるものでした。しかし,愛に満ちたお方である神さまは,その御心により,イエスさまに死と裁きから逃れる道を示してくださいました。父なる神さまは,子なるイエスさまを通して,人間にいのちを与える道を示されました。そして,イエスさまをさばきから救われる道を示されました。それが,イエスさまの十字架です。

イエスさまは,「わたしのことばを聞いて」、つまり,イエスさまのことば聞いて,神さまの愛とイエスさまの十字架を信じる者は,「永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移る」と語られました。イエスさまを信じる者は,最後の裁きの場に行くことはありません。私たち罪人は裁かれて当然のものでした。しかし,イエスさまの十字架によって,イエスさまがその罪をすべて引き受けてくださいました。ですから,イエスさまを信じる者は者は無罪判決を受けて法廷を去ることができるのです。また、イエスさまを信じる者は永遠の命を持つことができます。イエスさまの復活の命を与えられた私たちは死から命へと移るのです。

4 終わりに

父なる神さまと深い愛と信頼で結びついていたイエスさまは,神さまの御心を「イエスさまの十字架」をとおして実行されました。そのイエスさまの十字架を信じる者は,人間の回復が与えられます。イエスさまによって,神さまが私たちを造られたときの姿に戻していただきます。私たちも父なる神さまと愛と信頼で結ばれ,神さまの御心を自分の意思で行うことが出来るようになるのです。

(2021年11月28日 石原 俊一 兄)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です