使徒信条講解⑧十字架の歴史性(マルコの福音書8章31節)

1 ポンテオ・ピラト

使徒信条は、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と告白します。いきなり、「ポンテオ・ピラト」という歴史上の人物の名前が登場しますが、このことは、イエス様の十字架が、荒唐無稽ではなく、歴史上の確かな出来事であることを教えます。この使徒信条が作られた背景には、当時、イエス様の十字架の苦しみを幻のようなものとして否定する人々がいたため、その歴史性を主張するために、わざわざ、ポンテオ・ピラトという歴史上の人物を登場させるのです。
ポンテオ・ピラト;ローマ帝国が、紀元26~36年まで、パレチナに駐在させていた5代目の行政長官で、総督とも呼ばれました。ピラトに関しては、言い伝えや伝説が多く、その生い立ちや晩年については、あまり知られていません。しかし彼は、不思議な歴史の巡り合わせで、使徒信条の中にその名をとどめることになりました。 皇帝ティベリウスは、ピラトのすぐれた政治的手腕を買って、彼を問題の多いユダヤ人支配という重責に就けます。当時、パレスチナを支配することは大変困難な仕事でした。そのため、パレスチナ(ユダヤ、サマリヤ、イドマヤ)の総督は、皇帝直属の立場に置かれ、すべての法的権限を行使することができました。ほとんどの総督たちが、パレスチナ駐在を嫌がりましたが、ピラトの場合は、ユダヤ人たちを痛めつけることで、ストレスを発散させていたようです。

2 キリストの苦しみ

ハイデルベルク信仰問答は、使徒信条のこの部分を解説して、次のような問答を記します。
「問37・「苦しみを受け」という言葉によって、あなたは何を理解しますか。
答・キリストがその地上での全生涯、とりわけその終わりにおいて、全人類の罪に対する神の御怒りを体と魂に負われた、ということです。それは、この方が唯一のいけにえとして、御自身の苦しみによって私たちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、私たちのために神の恵みと義と永遠の命とを獲得してくださるためでした。」

3 キリストの苦しみの意味

私たちはイエスさまの3つの苦しみから学びましょう。

① 私たちの罪の身代わりの苦しみ

イザヤ書53章は、イエス様の受難を預言した苦難のしもべの姿を描きます。それは、私たちの罪の身代わりの苦しみでした。イザヤ53:4~6「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、そのうち傷のゆえに、私たちは癒された。私たちは皆、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かっていった。しかし、主は私たちすべてのものの咎を彼に負わせた。」イエス様の苦しみは、私たちの罪の身代わりとしての苦しみでした。

② 試みられている者たちの救い主(ヘブル2:18)。

イエス様は、なぜ苦しまれたのでしょうか。その第二の理由は、試みを受け苦しんでいる者たちの救い主となるためでした。彼は、罪は犯しませんでしたが、私たちと同じ弱さを持ち、私たちと同じように試みに会われたので、私たちに同情し、救うことのできるお方なのです。

③ 理不尽で不当な苦しみを受ける者たちの友として苦しみ。

Ⅰペテロ2:18~25には,イエスさまが私たちのために苦しみをうけ,その足跡に従うように模範を示されたと書かれています。イエスさまは,理不尽で不当な苦しみを受ける私たちの友となるために苦しみを受けてくださったのです。

(2022年1月23日 木田惠嗣 師)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です