オリーブ山の賛美(ルカの福音書19章36~38節,詩篇118篇25~26節)
1 イエスさまが下った坂道
イエスさまと弟子たち一行は山の裏手の村ベタニヤから来ました。途中ロバの子を見つけてそれに乗り、頂上から都へ下る坂をくだりました。この時にさらに多くの者が加わって賛美が溢れ、ホサナ(賛美します)とイエスを迎えました。イエスさまは、この急な坂において懸命にバランスを取りつつ、ロバからあえて降りようとしませんでした。救い主は、馬に乗ってくる軍人や王様でなく、本当に質素なロバとともに謙虚な姿を最後まで生きる主の姿でした。私のために、ただ十字架に向かっていくへりくだる者の姿でした。
2 ダビデが上った坂道
このオリーブ山をダビデは泣きに泣き、登りに上りました。「オリーブ山を登る」というのは、この山の裏手に広がる「ユダの荒野」に逃げる事を意味していました。ダビデは、我が子に王座と命を狙われて死の世界に追われたのです。この時のダビデの苦しみと祈りが詩篇3篇に記されています。オリーブの坂は,ダビデが、「ホサナ(どうか救ってください)」と、絶望の底から叫んで上ったこの坂道でした。
3 2重の意味をもつホサナ
「ホサナ」という言葉は、「救ってください」という意味と「賛美します」という二重の意味をもつようになりました。詩篇において苦痛に歪んでいたダビデの「ホサナ」の言葉が、イエスさまが下った坂道では賛美に溢れるホサナと代えられました。ここにダビデの祈りが確かに応えられていることを知ることができるます。今イエスはダビデの子でありつつ、同時にダビデの求めた救い主として、この道を戻って来られた!歴史の主権者としてすでに勝利しているのです。
4 ダビデの坂はイエスさまの坂
私たちは,イエスさまが,ダビデの道を辿ってくださって、あの孤独・痛み・恐れを覆ってくださっていることを知ることができます。それは、今私たちが抱え込む失意や祈りに対しても、そこに届いてくださる方の姿でもあるということなのです。神様の救いは「十把一絡げ」の救いでなく、個々人の苦しみ・孤独・失望・死の恐れを、個々に覆ってくださる姿があります。イエス様の命に与った者には最大の悲しみと言われる事さえ、恵みに転換していく希望があるのです。
5 十字架の受難は恵みの道
十字架の受難というのは、この「棕櫚の主日」と「イースター」という、「2つの勝利にはさまれた日」です。つまり、勝利と一体である苦難ということが私たちの信仰なのです。
今私たちが個々に過ごしている困難があるでしょう。 困難の中を通るときに声にならない声で、ホサナ(主よ救ってください)と祈る私たちです。しかし、そこに主は来て、そこに必ず慈しみと勝利,ホサナ(賛美します)という祈りを与えてくださることを今日はご一緒に心に刻みたいと思います。
(2022年3月20日 菊池 実 師)