いのちのパン〔ヨハネの福音書6章30節~40節)

モーセの奇跡とイエスさまの奇跡

イエスさまは,32節で群衆のモーセに対する認識の違いを指摘されました。モーセとイエスさまの違いは何でしょう。神の子であるイエスさまがご自分で5つのパンと2匹の魚を増やすという奇跡を行いました。しかし,モーセは,自分でマナの奇跡を行ったのではありません。モーセはイスラエルの民を背にしてひたすら父なる神さまに向かっただけです。マナの奇跡は父なる神さまが行ったのです。群衆は,マナの奇跡の出来事を持ち出して,イエスさまに神の子,救い主であるしるしを求めました。しかし,マナの奇跡と5つのパンと2匹の魚の奇跡を比較して見えてくるのは,父なる神さまとイエスさまが同じように奇跡をなさる方であるということです。

2 イエスさまがいのちのパン

 

 

 

 

 

 

イエスさまは,「わたしがいのちのパンです」(35節)とお語りになります。ここでいわれているパンは,霊的な意味でイエスの体さまを表します。イエスさまの体こそ,すべての人の救いのために裂かれ,分け与えられた「いのちのパン」でした。
「いのちのパン」であるイエスさまを食べるということは,パンを裂くように,十字架で裂かれたイエス様さまを食べるということです。それは,イエスさまを信じて自分の体に受け入れるということです。イエスさまに生きて働いていただくということです。そのイエスさまにより頼むことです。イエスさまをいのちとして生きるということです。「いのちのパンを食する」とはそのようにイエスさまを信じるということなのです。

3 イエスさまはわたしを見捨てない

私たちは,イエスさまから離れて生きて行くことができません。確かに,私たちは気がついたら,イエスさまが離れ,罪の中を生きる者です。けれども,イエスさまからはなれたら何もすることができません。人がパンを食べないとその体が生きていけないように,私たちもイエスさまという「いのちのパン」をいただかないと生きて行くことはできません。そして,イエスさまは,私たち,イエスさまから離れられない者,ただ,イエスさまにより頼む者を決して見捨てません。決して外に追い出したりしません。それどころか,そのような者にイエスさまという「いのちのパン」を与え,永遠のいのちに導いてくださいます。
イエスさまは,私たちの「いのちのパンです」。私たちがイエスさまを信じて,「いのちのパン」をいただいたら,いつも安心です。いつも満たされていくことができます。そのいのちは,永遠のいのちです。終わりの日に蘇えさせられるいのちです。そのことを信じて,イエスさまを「いのちのパン」をいただき続けていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です