つまずきを乗り越え,永遠のいのちへ(ヨハネの福音書6章41節~51節)

1 イエスさまに対するつまずき

カペナウムの人々は,イエスさまの家族を知っていました。カペナウムの人々は,人としてのイエスさまをよく知っている故に,神としてのイエスさまを認めることができませんでした。イエスさまは,「全き神であり,全き人」です。イエスさまは,神の子です。世界のはじめにイエスさまは神さまとともにおられました。すべてのものは,イエスさまによってつくられました。その神の子イエスさまは,人となり,この世にこられなければなりませんでした。それは,人類がこの世界で神に逆らい,このままでは自ら滅びに至るしかない存在だったからです。人類のすべての罪を贖い,人類を救うためには,神の子であるイエスさまが人となり,私たち人間に変わって死ぬしかありませんでした。そこで,イエスさまが,聖霊によって,マリヤの胎をとおして生まれたのです。人として,ヨセフとマリヤの子として30年間生きられたのです。このことは,人間の頭で納得することはできません。しかし,私たちは,自分の納得を超えたイエスさまの真実があることを心に留めたいと思います。

2 つまずきを乗り越えるために

イエスさまは,父なる神さまが引き寄せてくださらなければ,だれもイエスさまのもとにくることができないと語られました。自分の納得でイエスさまのところにいくことができません。しかし,父なる神さまがイエスさまのところに引き寄せてくださればイエスさまのもとにいくことができるというのです。あんなにつまずくしかなかった者,あんなによくわからなかった者,あんなに反発した者がどうして信じることができるようになったのでしょう。それは,父なる神さまのの引き寄せがあったからです。父なる神さまの引き寄せは,一人一人違います。一人一人に神さまが働きかけてくださり,引き寄せてくださいます。ある人は自分の愛する人を失うという経験から導かれイエスさまに引き寄せられました。ある健康を誇っていた人は思い病気にかかってしまい,イエスさまに引き寄せられました。ある人は大失敗をしてしまって,どうにもならなくなったときイエスさまに引き寄せられました。私たちが,イエスさまを信じるのは,父なる神さまが私をイエスさまに引き寄せてくださるからです。それは,不思議な神さまの導きです。

3 いのちのパン,そして永遠のいのちへ

イエスさまが与えようとしてくださっているのは,いのちのパンだと語られました。私たちはつまずきを乗り超えたとき,この御言葉もそのまま受け入れられるようになります。イエスさまは,人類の根本的な問題を知っていました。それは,人類の罪です。人類が神さまに反抗して,神さまとの正しい関係にないことです。それが,ユダヤ人の根本的な問題でした。いくらイスラエルが復興しても,パンの問題が解決しても,自らの思いを実現しても,自分の罪の問題,神さまに反抗しているという問題が解決しなければ何にもならないのです。だから,イエスさまは「私に求めよ」といます。「私がいのちのパン」といいます。イエスさまをとおして神さまへの反抗を赦し,永遠のいのちを与えることがイエスさまの願いなのです。わたしたちは,必ずイエスさまにつまずきます。しかし,神さまはそんな私たちをイエスさまに引き寄せてくださいます。神さまの引き寄せによって,つまずきを乗り越えた私たちを,終わりの日によみがえられると約束してくださいっています。私たちは,やがて死を迎えます。しかし,イエスさまに引き寄せられ,イエスさまのいのちのパンを食べた私たち,イエスさまを信じた私たちは,永遠なる神さまとの愛の関係が回復します。そして,終わりの日によみがえります。私たちは,永遠のいのちをいただくことが出来るのです。
私たちは,父なる神さまの引き寄せと,いのちのパンであるイエスさまに心から感謝していのちのパンを食したいと思います。つまずきを乗り越え,永遠のいのちに導かれたいと思います。

(2022年3月27日 石原 俊一 兄)

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