いのちのパンを食する(ヨハネの福音書6章52節~72節)

1 「いのちのパン」の本質

ユダヤ人の中で,イエスさまの肉を食べるという意味の解釈をめぐって様々な意見が分かれて
しまいました。イエスさまの言葉を自分の知恵で理解しようとしたら,かえって多くの意見が飛び交い,混乱してしまったのです。
イエスさまは,イエスさまは,これまでの話に加えて,赤字で書かれているとおりイエスさまの肉を食べ,血を飲むことをお奨めになります。イエスさまの肉,イエスさまの血についてお話になるとでイエスさまが十字架にお架かりになることについてはっきりと示しています。
イエスさまは,繰り返し,繰り返し,「わたしはいのちのパンです。」「わたしを食しなさい」とお語りになってきました。その本質は,「いのちのパンを食べること=イエスさまを信じること」です。「私たちの罪のために十字架で死んでくださったイエスさまを信じなさい。」ということです。そして,イエスさまを信じる者は,永遠なる神さまと私たちの関係が回復し,私たちに永遠のいのちが与えられるということです。

2 いのちを与えるのは御霊,肉は無価値

イエスさまは,福音の本質を語られました。すると,これまでイエスさまに付いてきた弟子たちまでが,イエスさまの言葉につまずくのです。イエスさまは,文字通り「私の肉を食べなさい,私の血を飲みなさい」と語っているのではありません。イエスさまは,霊的な意味において語っておられるのです。
「肉は何の益ももたらしません。」というイエスさまの言葉はとても重要です。永遠のいのちに関して,救いに関して,生まれながらの私は何の役にたちません。知恵も,知識も,判断力も,理解力も,表現力も,意欲も役にたちません。そのことを認めることで,私たちは,いのちを与えるのは御霊 であることを受け入れることができ,聖霊に唯ひたすらより頼むもになります。また,いのちを与えるのは御霊であることを受け入れることができると,肉は何の益ももたらさないということがアーメンと受け入れることができます。

3 イエスさまから離れられない12使徒

多くの弟子がイエスさまから離れていきました。イエスさまにとっては,大きな悲しみだったと思います。イエスさまは,残った12使徒に「あなたがたも離れて行きたいのですか」と問います。ペテロは,,「私たちはイエスさまを離れません」と答えます。その理由は主に2つあります。その一つが,「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょう」(68節)です。救いに関して,生まれながらの私たちは何の役にもたちません。であるならば,イエスさまから離れて他にどこに行くことができるでしょうか。私たちは,どんなことがあってもイエスさまに留まることしかできません。他の誰のとこにいくことも出来ないのです。どんにつらくても,悲しいことがあっても私たちはイエスさまにつながり続けていきたいと思います。
ペテロがイエスさまから離れない二つめの理由は,イエスさまが永遠のいのちをもっている神の聖者であるからです。ペテロの答えは,「いのちのパン」の本質をしっかりと受け止めています。私たちも「いのちのパン」の本質を受け止め,「いのちのパン」をいただきたいと思います。

(2022年4月3日 石原 俊一 兄)

 

 

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