ろばの子に乗る王(ヨハネの福音書12章9~19節)

0 はじめに

今日は、受難週の始まり、キリスト教会の暦では、「棕櫚の日曜日」と呼ばれます。13節の「なつめ椰子」が古い翻訳では、「しゅろ」と訳されているからです。

1 人々の熱狂

イエス様のエルサレム入城は、①四福音書が共に記録する印象的で、重要な出来事でした。②ヨハネの福音書は、弟子たちがロバの子を連れ来た逸話を省略します。③人々の熱狂の理由を書き記します。ラザロをよみがえらせた奇跡のゆえに、人々も、弟子たちも熱狂していました(9節、18節)。④イエス様の主体的行為。ヨハネは、「イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。(14)」とのみ記し、ろばの子を見つけたのも、乗ったのも、イエス様の主体的な行為として描きます。

2 なつめ椰子の枝

イエス様のエルサレム入城が、「なつめ椰子の枝を」振って歓迎されたことは、紀元前164年、ユダ・マカベウスがセレウコス朝シリアの支配からイスラエルを解放し神殿をきよめた故事に由来します。人々は、イエス様こそ、ローマの支配から自分たちを解放する王であると喜び迎えたです。

3 ロバの子に乗って

イエス様は、人々が期待したような軍事的なヒーローではありませんでした。人々の期待と、イエス様の本当のお姿との間の大きな隔たりが、金曜日には、群衆たちが、「その男を殺せ。十字架だ。十字架につけろ。」と叫び出す原因でした。人々の期待は、力強く、戦いに勇ましい王の姿でしたが、イエス様は、子ろばに乗り、よろよろしながらエルサレムに入って行かれます。ろばは、愚かでのろまな動物で、王の乗り物としてはふさわしくありません。イエス様は、あえて、ろばの子に乗ることで、ご自分が戦いの王ではなく、平和の王として、神と人、人と人との間に、十字架による平和を創り出す王として来られたことを主張しているのです。それは、①旧約聖書の預言の成就でした。「ホサナ。祝福あれ」とは、詩篇118篇25,26節の成就です。「ホサナ」とは、「今、救ってください」という意味です。また、ろばの子に乗るのは、ゼカリヤ書9章9節の成就でした。②この出来事の本当の意味は、イエス様が栄光を受けられた後になって、初めて理解された事でした。群衆も弟子たちも、イエス様を理解していなかった点では、五十歩百歩です。自分勝手な期待や、自分の理想という眼鏡を通してイエス様を見て、怒ったり、絶望したりしています。

4 ろばの子に乗る王を見つめて

イエス様は、ろばの子に乗るほど、へりくだり、十字架の死にまで従って、私たちの罪を赦す、唯一の王となってくださいました。このろばの子に乗る王を見つめて、心から「ホサナ」「今、お救いください」と、私たちの心に、イエス様をお迎えする時、本当の意味で、このお方が、私の罪を赦し、永遠のいのちを与える救い主であると分かるのです。

(2022年4月10日 木田 惠嗣 師)

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