主の前に立て(第一列王記19章9節~21節)

1 主の前に立て

カルメル山の一件の後、気力を失ったエリヤが、荒野で御使いから水と食べ物によって力を与えられて、40日40夜歩いて辿り着いたのは、神の山ホレブでした。しかし、彼が神の山ホレブに着いて入ったのは、洞穴でした。もしかすると、洞穴の中というのは、くすぶっているエリヤの心情を表しているのかもしれません。主の「エリヤよ、ここで何をしているのか」という問いかけに対するエリヤの返答というのは、過去の自分の熱心さと、それに見合わない現状を訴えるものでした。確かに、彼の熱心さは真実だったことでしょう。しかし、エリヤの主張は、彼の自己憐憫に引っ張られたのでしょうか、少しずつ事実が曲げられていました。そのようなエリヤに対して、主は言われました。11節「外に出て、山の上で主の前に立て。」主の前に立つとは、過去の自分の熱心を並べ立てることではないのです。「今の自分が」、神様の御思いを知ろうと願い、「今の自分」を主の御前に置くということです。主の前に立つことからすべてが始まります。しかし不思議なことに、神様は山の上で私の前に立て、とおっしゃりながら、到底エリヤが立つことができない、恐ろしいほどの大風、地震、火という超越的な力をあらわされました。けれども、それらの中に主はおられませんでした。最後に、かすかな細い声がしました。弱り果てているエリヤにとって、このかすかな細い声を逃したら、他に主に近付くことができないと瞬時に悟ったのでしょう。彼はすぐに外套で顔を覆い、洞穴の入り口に立ち、もう一度主と言葉を交わしました。

2 人の思いを超えた主のご計画

聖書の描写は面白いと思わされます。エリヤが山の上で主の前に立った、とは書いていないのです。彼が立ったのは、洞穴の入り口です。洞穴の中ではないけれど、外とも言い切れない微妙な位置にエリヤがいることを記しています。ここに、エリヤの恐れを垣間見ることができるのではないでしょうか。けれども、神様はそんなエリヤでさえ受け入れ、ついにご自分のご計画をエリヤに明らかにしてくださいました。それは、「私だけが」と言っているエリヤには見えていなかった、彼の思いを超えたものでした。主は、この世の支配者である王の交代を告げたのです。すなわち、この時代を支配しているのは主であるということを示されました。さらに、「私だけが」と言っていたエリヤに対し、7000人のバアルに心傾けなかった民の存在、そして何よりも、エリヤにとって心強い存在となったであろう、エリシャという後継者の存在も明かされたのです。神様は、預言者エリヤを生かし続けてきたご自身の言葉を、今再び与えられました。その言葉は、「主の前に立て」と言われなければ聞くことができない声でした。恐る恐る洞穴の入り口に立ったエリヤに対し、神様は、「私だけが」と閉じこもるエリヤの目を開いて、主のご計画を見せてくださったのです。神様の言葉は、確実にエリヤに生きる力、たましいに潤いを与えました。私たちも、私だけと思い洞穴の中で眠るのではなく、主の前に立てとおっしゃってくださる神様の前に今の自分を置き、私たちの思いを超える主のご計画を見せていただきましょう。

(2022年5月22日 木田 友子 姉)

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