ともに歩くイエス(ルカの福音書24章13~35節)

1 二人の弟子はだれか?

「クレオパ(18)」とは、「クレオパトロス」の省略形で、もっと短くすると、「クロパ」です。そこで、ヨハネ19:25の「クロパの妻マリア」とは、ここで語られているクレオパの妻のことではないかと推測されます。エウセビオス(AD263頃~339)という教会歴史家は、「教会史」中に、エルサレム教会が、殉教した主の兄弟ヤコブの後任として、「福音書の文書にその名の見えるクロパの息子シメオンが・・ふさわしい」と決めたことを書き、ヘゲシップスの言葉によれば、彼は主のいとこで、クロパはヨセフの兄弟だったと語っています。そうすると、この二人の弟子は、クレオパとその妻マリアで、イエス様にとっては、父方の叔父にあたる人だった可能性が高いのです。

2 さえぎられた目

ルカは、「二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。(16)」と記します。二人が、あまりの悲しみ、失望、落胆のために、一緒に歩いている旅人がイエス様であることが分からなかったということでしょう。マーガレット・F・パワーズが作詩した「足跡」という詩があります。夢の中で、これまでの生涯が走馬灯のように写し出された時、これまで、主と二人で歩み、砂の上には、二列の足跡が続いて来たのに、人生の一番つらいかなしい時に、足跡が一つになっている事をいぶかしく思い、主に尋ねたところ、「わたしはあなたを背負って歩いていた。」と主が答えるという詩です。悲しみ、苦しみ、悩みのただ中にいる時には、確かに、私たちは、主がともに歩いて下さっているのに、それが分からないのです。

3 聖書の解き明かし

最初、この旅人は、エルサレムで起きた十字架の騒ぎを知らない鈍い人として二人に近づき、聖書全体を解き明かし、ふたりに、「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの行ったことすべてを信じられない者たち(25)」と語ります。「聖書全体」の解き明かしにこそ、イエス様の復活を信じる信仰の鍵があります。二人のさえぎられていた目が開かれ、信じる者へと変えられます。イエス様は、信じられない、分からない、鈍いからダメと言わず、聖書を解き明かしてくださったのです。

4 パンを裂かれたとき

三人がエマオで、一緒に食事をしますと、招かれたイエス様が、パンを取り、神をほめたたえ、裂いて彼らに渡されました。イエス様の感謝の祈りを聞き、パンを裂かれた時、彼らははっきりとイエス様だと悟りました。その手に、はっきりとくぎを打たれた跡が見えたのかもしれません。次の瞬間、イエス様は、姿を消しました。しかし、彼らの心から、今までの疑問や、失望、悲しみが全部吹き飛んでしまい、喜びがあふれ、この喜びを語らずにはいられないと、また、エルサレムへと引き返すのです。み言葉の解き明かしと、パンを裂くことは、教会の礼拝の姿です。み言葉が、毎週日曜日に語られ、礼拝の中で、聖餐式が行われます。そんな、毎週の教会の営みは、私たちが、復活の主イエス様に出会うため繰り返されます。

(2022年6月5日 木田 惠嗣 師)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です