インマヌエルの神 イエスさま(マタイの福音書1章18節~25節)

1 ヨセフの葛藤

イエスの母マリアはヨセフと結婚することにが決まっていました。しかし、結婚をする前に、マリアは聖霊によって身ごもりました。マリヤは不義を犯しているわけではありません。しかし、周りから見れば不義による妊娠としか思えません。ユダヤの律法では、不義による妊娠は石で打たれて殺されます。(申命記22章23節~24節)ことによったらマリヤは殺されるかも知れませんでした。
ヨセフもユダヤ人です。基本的には神の命令である律法に従うべきでしょう。しかし、律法に従ってもし公にしたら、マリアが殺されてしまいます。ヨセフは、律法に従うこととマリアの身を守りたいという思いの板挟みにあいました。ヨセフは悩みに悩みました。その結果、ヨセフがだした結論は、 「ひそかに離縁しようと思った。」(19節)ということでした。秘かに離縁することで、マリアの姦淫が他の者達に知られないようにし、マリヤを石打ちの刑による死から守ろうとしたのです。聖書の記者はいいます、マリアを石打ちの刑から守るという選択したヨセフを「正しい人」だったと。マリアを救おうとしたヨセフは神さまのみこころにかなっていました。
さて、ヨセフが秘かに離縁するという選択をしたそのとき、御使いがヨセフに声をかけます。天使の言葉によって、ヨセフは、正しい人と言われた選択、「秘かに離縁する」を捨てます。そして、マリアを妻として迎えることを改めて選択します。
私たちは、罪を犯した人、罪を犯したと思える人、正しい行動ができなかったその人に対してどのような態度をとるでしょうか。冷たい視線を送ってしまうことがないでしょうか。裁いてしまうことがないでしょうか。実際はマリアは聖霊によって身もごるというよう事情がありました。私たちは、そのように、相手にも相手の事情があったということに思いを寄せ、愛と憐れみの眼差しを向けているでしょうか。私たちはヨセフのように相手を憐れみ救おうとし、どんなことがあっても神さまの示す道に歩む者になりたいと思います。

2 インマヌエルの神 イエスさま

聖書の記者は、イエスの誕生が既に預言されていたとして、イザヤ書7章14節を引用します。イエスさまは、インマヌエルの神だというのです。
ジョン・ウエスレーがその人生の最後、召されるときに 「The best of allis, God is us」と語りました。「最もよきことは、神さまが私たちとともにいてくださることだよ。」メソジスト教会の創始者となったジョン・ウエスレーが人生の結論ともいえることは、私たちがどのような困難な中を歩んでも、「イエスさまが私たちとともにおられる」ということです。そして、私がそのイエスさまの愛の中にいるということです。
イエスさは、憐れみ深く愛のお方です。目の前の人を一人の人格として心から大切にし、憐れみ深い行動が出来る人です。私たちとともにいてくださるイエスさまはこのように愛のお方です。私たちは、このお方がわたしとともにおられることに気付かせていただきたい。そして、イエスさまにいっさいをお任せしたい。御委ねしたい。すると、イエスさまが愛と憐れみをもって私たちを導いてくださいます。
イエスさまは、この世での役割を終えて天にもどるとき、私たちにいってくださいます。マタイの福音書28章20節「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」イエスさまは、確かに、今、ここで、わたしたちとともにいてくださっています。私たちは、今、そのリアリティの中にいます。

(2022年12月18日 石原 俊一 兄)

 

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