わたしを覚えて(コリント人への手紙第一11章23~26節)

1 はじめに

「聖餐式」と聞きますと、初めての方は、いったいなんだろうと思います。聖餐式が意味の分からない奇妙な儀式ではなく、まだ、イエス様を信じていない方々にとっても、とても大切な意味を持った儀式だということを知っていただけるように、今日は、聖餐式の意味について、お話をし、ご一緒に聖餐式に参加していただければと思っております。

2  聖餐式の起源と原型

① 起源

イエス様が聖餐式を制定されたのは、ユダヤの過越しの祭りの食事の席でした。ですから、その第一の起源は過越しの食事であるということが出来ます。

② 原型

また、教会において、執り行われる聖餐式は、イエス様が弟子たちと一緒に過ごされた、最後の晩餐の席での食事を思い起こさせるもので、その原型は最後の晩餐の食事であると申し上げることが出来ます。

③ その時

「最後の晩餐」というくらいですから、初代教会の聖餐式は夜行われたと想像できます。

3 コリント教会の問題

当時のコリントの教会でも、聖餐式は夕食時に行われた持ち寄り愛餐会(ポットラック)の後に行われていました。この愛餐会は、富む人々も貧しい人々も、共に食べて交わりを深める、まさに「愛の食事会」で、そのハイライトが、聖餐式だったわけです。しかし、時間がたつにつれて、その「愛の食事会」が変質しました。パンを分け合い、主の恵みを味わう「愛餐会」が、分裂のある集まりとなり、貧富の差を感じみじめな思いになる食事会に変質してしまったのです。そこでパウロは、コリントの人々に、「私はあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが益にならず、返って害になっているからです。(17)」と語らずにはおれませんでした。そして、聖餐式の何たるかをパウロは語り始めるのです。

4 聖餐式の意味

パンは、イエス様の十字架で裂かれるからだ、杯は、そこで流される契約の血です。「わたしを覚えて、これを行いなさい」と主イエスが言われたのは、ただ主イエスを忘れないで覚えているということではなく、その十字架の苦しみと死とを覚え、それを記念するにほかなりません。

5 宣教的な意味

聖餐式の起源と意味と守り方を述べた後、「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです」とパウロは語りました。一体誰に告げ知らせるのでしょうか。もちろんまだ信じていない人々に対してです。聖餐式は、まだイエス様を信じていない方々に、「イエス様の十字架は、神様があなたも愛しておられるしるしです。」「あなたも、私たちと同じように、十字架の福音を信じて、主の食卓に加わりませんか?」という招きを含んだ儀式なのです。

(2024年9月29日 木田 惠嗣 師)

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