求め続けなさい(マタイの福音書7章6~11節)

1 はじめに

先週は「聖なるものを犬に、真珠を豚に与えたり投げたりしてはいけない」(6)という御言葉を読みました。かけがえのない福音を、神を侮る者にしてはいけないという教えです。しかし、実は私たち自身も本当に犬や豚ではないかと問われています。

2「子犬」と呼ばれた女

もし「あなたは神への恐れのない犬だ。神を求めない豚だ」と言われたら、私たちはどう反応するでしょうか。模範となるのが、マタイによる福音書15章に登場するカナンの女です。娘が悪霊に苦しめられていたカナンの女は、イエス様に助けを求めました。しかし、イエス様は彼女の願いを3度も拒絶されます。しかも3度目には、異邦人である彼女を指して「子犬にパンをやるのはよくない」と言われました。この言葉に対し彼女は、「主よ、そのとおりです。ただ、子犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」と寄りすがります。するとイエス様は、「あなたの信仰は立派です」と言い娘を癒やされました。
たとえ自分が罪人であり、イエス様から拒絶されるようなことがあったとしても、ひるまずに求め続ける者こそ、真の信仰者です。それは、目の前の問題を解決できる力が自分には全くないことを認め、その唯一の解決者がイエス様であることを信じる信仰です。

3 求め続ける信仰

私たちは、すぐに祈りをやめてしまう弱い存在です。そのような私たちに、イエス様は「求めなさい」(7)と語りかけます。原文には「求め続けなさい」「探し続けなさい」「たたき続けなさい」という意味合いが含まれています。一度求めて終わりではなくあきらめずに神様に向かい続けることを求めておられるのです。

4 なぜ神は良いものを与えるのか

東京基督教大学の元理事長である朝岡勝先生は、幼い頃、1月前に購入したクリスマスプレゼントをタンスの上に上げておき、クリスマス当日まで待つよう父親に教えられたそうです。それは、プレゼントをすぐに与えるのではなく、神様が良いものを必ず与えてくださるという「待つ信仰」を教えるためでした。愛する子どもが空腹を訴えているのに、石や蛇を与える父親はいません。父親ですら愛する子ども最上のものをプレゼントしたいのです。ましてや、天の父なる神様は、私たちのことを父親が子を思う以上に愛しておられます。神様は私たちが求めるものをすぐに与えないことがあります。それも、神様が私たちをより信仰深い者へと育ててくださる愛のゆえです。

5 悪い者に最高の贈り物を与えてくださる神

イエス様は「あなたがたは悪い者であっても…」と言われています。山上の説教を読んできた私たちは、「心の貧しい者」になれず、「さばくな」という教えを守れない自分を顧み、自分が「悪い者」であることを認めざるを得ません。しかし、このような私たちを神様は愛し、子としてくださいます。私たちが父なる神の愛を全面的に受けることができるのは、イエス様の十字架のおかげです。
使徒パウロは、「肉体に一つのとげ」が与えられ、それが取り去られるよう神に何度も祈りました。しかし、神の答えは「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」というものでした。パウロは肉体の癒やしを得ませんでしたが、神様ご自身という最高の「良いもの」をいただきました。弱さの中にこそキリストの力が現れる、という真理を受け取ったのです。
神様が私たちに与えてくださる最高の「良いもの」は、聖霊です。聖霊が私たちのうちに住んでくださるからこそ、私たちは自分の力ではなく、神様の力によって山上の説教を生きることができるのです。

6 おわりに

今、あなたは神様に何を求めていますか?求めるものは、山上の説教を実行できる力かもしれませんし、目の前の問題の解決かもしれません。何であれ、大切なのは、カナンの女のようにひたすら求め続けることです。神様は、あなたが求めるもの以上に、ご自身という最高のプレゼントを与えてくださいます。さあ、共に求め続けていきましょう。探し続けていきましょう。門をたたき続けていきましょう。

(2025年8月17日 石原 俊一 師)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です