黄金律を生きる(マタイの福音書7章12節)

1 はじめに

今日の御言葉「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。」は、古くから「黄金律」と呼ばれ、道徳の最高原則として広く知られています。しかし、これは単なる倫理ではなく、山上の説教の中で語られた神の言葉です。では、この御言葉をどのように理解し、実践したらよいのでしょうか。

2 黄金律の意味

黄金律は、一般には、「自分が人からして欲しいことを基に、相手がしてほしいことを考えてして行いなさい」と勧めています。相手の立場に立って考えることの大切をおしえています。
山上の説教の文脈ではどうでしょう。 山上の説教は、人を愛することが旧約聖書の成就であることを示していました。12節冒頭の「ですから」は、山上の説教全体を受けています。12節前半は、「ですから、人からしてもらいたいことを、あなたがたも同じようにすることで人を愛しなさい」ということを意味しているのです。すると、12節後半の「これが律法と預言者(旧約聖書)です」という言葉が理解できます。

3 人が求めること

「人からしてもらいたいこと」は、人によって異なりますが、本質的には以下の二つに集約されます。
① 人や物によって満たされたい
② 神の愛によって満たされたい
ほとんどの信仰者は成長とともに、①→②(人や物の愛から神の愛)へと進みます。このような体験する者が黄金律に生きるには、相手がどの段階にあるかを見極めて関わることが必要です。人の愛を求める人には人の愛を与え、神の愛を求める人には神の愛を示すのです。
イエスさまがヨハネ4章でサマリヤの女に接した姿は、その好例です。最初は水を求める女に「水をください」と声をかけ、人としての関わりを示しました。サマリヤの女にとって、イエスさまとのかかわりの中で、「人のために何かをしてあげる(水をあげる)こと」はどれだけうれしかったが想像できます。イエスさまはまず「①人の愛」を満たしたのです。やがて、イエスさまは、「わたしが与える水」を語り、罪を示し、サマリヤの女をメシアであることを告げ、②「神の愛」に導かれました。イエスさまは相手に合わせて関わる黄金律を生きられたお方です。
アウグスティヌスは「告白」という著書の中で、。「私たちの心は、あなた(神さま)のうちに憩うまで安らぎをえることは出来ない。」と言いました。最終的に人が求めるのは神の愛です。しかし、今このとき求める者は、人によって異なります。黄金律は、イエスさまのように相手の状況十分に配慮することを示しているのです。

4 黄金律の実践

私たちも相手の状態に応じて愛を示すことが求められています。
(1)被災者支援
東日本大震災直後、必要なのはまず物資でした。相手が①の段階なら、寄り添い、物質的・精神的な支援に徹することが愛です。
(2)教会での関わり
信仰を求め始めたHさんは、自分の話を聞いてほしいという思いがありました。K先生は何時間も耳を傾け、やがて神の愛へと導きました。
(3)成熟した信仰者への関わり
N先生は、夫の問題を訴える婦人に「それはあなたが悪い」と言い続けました。婦人ははじめN先生に怒りを覚えていました、しかし、家に帰るそのとき、「ああ、悪かったのは夫に従っていなかった自分だ」と気づきました。N先生の厳しい対応は、婦人を悔い改めと真の平安に導く愛だったのです。

5 実践の困難と聖霊の助け

愛をもって相手に合わせて関わることは容易ではありません。自分の経験や価値観を押しつけてしまう失敗もあります。実際、御言葉に従おうとすると、山上の説教に示された命令を自力で行うことは不可能なことが分かります。私たちは、黄金律を人間のわざとして行えないことをことも認めるしかありません。しかし、だからこそ、私たちはイエスさまにより頼みます。聖霊の助けを求め、御霊のである愛を求めます。黄金律を生きるためには、神の力が必要なのです。御霊に導かれ、相手にふさわしい愛を示す者となりましょう。

6 おわりに

黄金律とは、相手に合わせた愛の実践であり、律法と預言者(旧約聖書)を成就する道です。自分の力ではできませんが、聖霊により頼み、イエスさまに倣って生きるとき、この御言葉は私たちの中で実現します。
今日、この説教を聞いて思い浮かんだあの人のために、まずはどのような愛が必要かを祈り求めてみましょう。それは、黄金律を生きたいと願う私たちのはじめの一歩です

(2025年8月24日 石原 俊一 師)

 

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