ゴリヤテとの戦い (サムエル記第一17章1節~58節) 

0 はじめに

信仰の歩みとは不信仰との戦いです。信仰をもっていても,その心の中には厳然として罪の思い,この世の見方を先立てる心など罪の思いが染みついているからです。
サムエル記第一17章には,ゴリヤテという巨人が登場します。ゴリヤテは神の民イスラエルの敵です。不信仰の象徴です。ですから私たちの歩みは心の中のゴリヤテとの戦いです。

1 主の戦いに一歩踏み出すこと

ゴリヤテは身長が約2.9m,青銅のかぶと,鱗綴じのよろい,胸当ての重さ,すね当てを身につけていました。ゴリヤテは,ゴリヤテとイスラエル代表1対1の戦いを申し出ます。サウルとイスラエルの戦士たちは,その勢いに気をくじかれ,ゴリヤテの前から逃げ,非常に恐れてしまいました。しかし,ダビデはゴリヤテに一人で戦うことを提案します。ダビデは,神さまをそしる者を必ず神さまが倒してくださるという信仰に立って行動したのです。
私たちの敵もゴリヤテのようにとても強く見えます。自分の中の闇,罪はあまりにも大きいからです。絶対に勝てそうにありません。このとき大切なことは,ダビデのように,勝てそうのない自分を見るのではなく,戦いに勝利してくださる神さまを信じて一歩踏み出すことです。

2 特別な何かに頼らない主の戦い

ゴリヤテとの戦いを許したサウル王はダビデに武器を持たせようとします。しかし,ダビデは,いつも使っている杖と5つの小石で戦います。ダビデが,石投げで一つの石を放つとその石はゴリヤテの額に食い込みます。ゴリヤテは一発の石で倒れてしまいました。ダビデの戦いでは,羊飼いの仕事に使う杖と石投げは日常的な道具で十分でした。神さまがそれを生かし,神さまが戦ってくださるからです。
私たりが自分の罪や不信仰と戦うとき,何か,特別な物が必要ではないかと思ってしまいます。あれやこれやと頼みたくなります。しかし,今,神さまから与えられて日常的な道具で十分です。神さまがそれを生かし,神さまが戦ってくださるからです。

3 勝ちてあまりある主の戦い

ダビデは,小石を5つ拾いました。しかし,実際には,初めの1個で勝負がついてしまいました。では,失敗したときのために,残り4つをキープしておくのはダビデの不信仰でしょうか。そうではありません。この小石2つめを使えばさらに大きな勝利がイスラエルにもたらさせるでしょう。5つなら,どれだけ大きな勝利になるでしょうか。神さまの戦いは,余裕綽々の勝利です。大きな力を残したままの勝利でした。この神さまの戦いの大きな力を私たちは信じたいと思います。
私たちの罪や不信仰との戦いも同じです。神さまの大きな力によって大勝利が与えられます。私たちは,神さまの力のすばらしさを実感できるのだと思います。

4 終わりに

イエスさまは,罪,弱さ,誘惑に勝つことのできない私のために,十字架にかかってくださいました。ですからどんなに私の罪,弱さ,私への誘惑が強く大きくても,ダビデのように出て行けばよいのです。戦ってくださるのはイエス様さまです。勝利してくださるのはイエス様です。弱い私を余裕綽々の大きな恵みで包んでくださるのもイエス様です。

(2021年5月16日 石原 俊一 兄)

 

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