「一匹の蚤」の信仰(サムエル記26章)

0 はじめに~ダビデが理不尽な王サウルを殺さなかったのはなぜ?

イスラエルの国王サウルは,ダビデを殺すために,三千人の精鋭を率いてダビデのところに向かいました。ダビデは,何も悪いことをしていません。ゴリヤテを倒してイスラエルを勝利に導きました。サウル王を琴で慰めました。サウル王を殺すチャンスがあったのにそれをしませんでした。それなのに,また,ダビデを殺しに向かうのです。全く理不尽です。しかし,ダビデは再び与えられたチャンスに,サウルを殺しませんでした。なぜでしょうか。

理由1 神さまが立てた権威を尊重する信仰

第一の理由は,ダビデが,「神さまが立てた権威を尊重した」ということです。サウルは,神さまに捨てられた者とはいえ,確かに神さまが選んで油を注ぎました。油を注ぐとは神さまが王として認めた印です。ダビデは,神さまが選んだサウルを殺してしまったら,ダビデ自身が罰を受けなければならないといます。ダビデにとって一番大切なのは,ダビデ自身が神さまの前に忠実なものかどうかということでした。目の前のサウルがたとえどんなに理不尽なことをしようとも,神さまに逆らうことはできなかったのです。

理由2 さばきは神さまに委ねる信仰

第二の理由は,ダビデが「裁きをすべて主に委ねていた」ということです。ダビデ自身はサウルを殺すことはありません。しかし,神さまは,必ずサウルを殺すということをダビデは信じていました。罪のないダビデを殺そうと追いかけるサウルの行動の間違いをダビデは分かっていました。そして,誤りを犯したサウルは,必ず神さまからの裁きを受けるという確信を持っていました。ダビデは,裁きをすべて神さまにお委ねしていました。ダビデは,誤った歩みをする人を裁くのは人ではない神さまであると信じていたのです。

理由3 「一匹の蚤」の信仰

第三の理由は,ダビデが「『一匹の蚤』の信仰を持っていた」ということです。ダビデは,サウロを殺す気持ちは全くないことを槍を見せて証明します。そして,ダビデはサウルに,「イスラエルの王は一匹の蚤のようなダビデを追いかけているのです。」といいました。ダビデは主を仰いだとき、本当に自分には何もないと思っていました。それは、神さまに対する全幅の信頼と一つのことです。ダビデは,自分を一匹の蚤として,神さまの前に心低くただひれ伏す存在だったのです。だから,だびでは,神さまが立てた権威にもひれ伏しました。神さまにひれ伏す思いで裁きを神さまに委ねることができたのです。
私達は,今日,ダビデの歩みをとおして,神さまが私達に示してくださっている一匹の蚤の信仰を神さまにひれ伏す思いで受け止めたいと思います。

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