たった一つの質問(ヨハネの福音書21章12~19節)

0 はじめに 

弟子たちは,イエス様の最も苦しい時に,イエス様を裏切ってしまいました。それぞれが深い後悔を心に抱えていました。彼らが漁をしてもその夜は何も捕れなかったことは弟子たちの心を現しています。しかし,イエス様は岸辺に立っておられ,暖かな炭火と食事で彼らの空腹と心を満たしてくださいました。その後で,イエス様はペテロに質問されたのでした。

「ヨハネの子シモン。あなたは,この人たちが愛する以上に,わたしを愛していますか。」(21:15)

今日は,イエスさまのこのお言葉がどのような質問であったかを学びます。

1 個人的な質問

イエス様はペテロの名を呼ばれました。16節でも,17節でも。この問いはペテロ個人への,個人的な問いであったということです。今日イエス様はあなたの名を呼ばれます。イエス様とあなた,そこに他のだれも入ることのできない親密な問いかけです。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか。」

 

2 今を問う質問

ペテロにとってはとても辛い質問でした。ご存じのように,ペテロには取り消すことのできない失敗がありました。それはイエス様への愛を疑われても仕方ない取り返しのつかない失敗でした。でもイエス様の質問は,あの時どうして私を愛さなかったのですかという質問ではありませんでした。今を問う質問です。過去の失敗からどうしても抜け出すことのできないペテロや私たちにイエス様は過去を問うのではなく,今日,今,「あなたはわたしを愛していますか」と問うてくださるのです。悩み多く,苦しい日々があります。けれどイエス様は,朝が来る度に,今日,あなたはわたしを愛しますかと問うてくださいます。一日の終わりにも,「あなたはわたしを愛しますか」と問うてくださいます。

3 愛からの質問

イエス様は三度ペテロに同じことを問いかけてくださいました。三度イエス様を知らないと言ってしまったペテロに,三度「はい,主よ。私があなたを愛していることは,あなたがご存じです」と言わせてくださいました。イエス様は静かに,ペテロの深い傷を癒してくださいました。

「あなたはわたしを愛していますか」と問うておられますが,その前に,イエス様ご自身がどれほど深くペテロを愛しておられたことでしょう。そのイエス様から出た,愛の問いです。名を呼んで下さることも愛です。過去でなく,今を問うてくださることも愛です。そして,傷む者をそのままにしておかれない,イエス様の愛です。イエス様の問いはいつも,愛の問いです。

愛から出てくる問いであり,愛に招いてくださる問いです。

4 たった一つの質問

最後に,イエス様が問われたのはただ一つのことだったということです。「あなたはわたしを愛していますか」何をしましたか,どれだけしましたか,という問いではありません。なぜできなかったのですかという問いでもありません。イエス様が私たちに尋ねられることはたった一つだけです。「あなたはわたしを愛していますか」この問いを聞き続けることがイエス様と共に歩む生涯であると思います。そして生涯の終わりにたぶん,イエス様が問われるたった一つのことも,このことでしょう。「あなたはわたしを愛していますか」。

5 終わりに -イエス様の質問は私にも-

私たちは神様の恵みによって,信仰を与えられました。救いの喜びや感謝を与えられながらも,私たちの人生には,まさか,とか どうして,とか分からない事,苦しむ事が少なからず起こります。また,私たちも,弟子たちのようになにか大きな失敗をしてしまった時,苦しみます。こんな私が赦されるはずがない。愛される資格はない。生きている資格もないと自分を責めて苦しみます。ところが,そのような中ですがるようにイエス様に祈る時,私たちの心の中に聞こえて来るイエス様の声があります。それはたったひとつの問いです。イエスさまがペテロにかけられた問いです。「あなたはわたしを愛していますか」

(2021年10月31日 館脇暁美 師)

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