マリヤの賛歌(ルカの福音書1章46節~55節)
0 はじめに
マリアは処女であるのに聖霊によって赤ちゃんを身ごもりました。処女が身ごもることは常識では考えられないことです。姦淫の疑いをかけられてもしかたないような状況でした。ユダヤの律法では他の人と姦淫することは石打ちの刑で殺されなければならないほどの罪でした。マリヤがイエスさまをお生みになることは命がけだったのです。
マリヤは赤ちゃんを身ごもったとき,親戚であるエリザベツのもとに行きます。エリザベツは全てを理解し,マリヤを祝福します。その祝福を受けて,マリヤが言った言葉が「マリヤの賛歌」です。
1 神は卑しいはした女に目を留められる
まず,マリヤの口から出てきたのは,神さまへの賛美です。私のたましいは,私の霊は,と重ねて賛美しています。これは,私の全存在をかけて神さまを賛美するということです。私という存在の深いところから神さまを賛美するということです。私のたましいは主をあがめ、…主なる神さまが本当に偉大なお方であることをたたえます。そして,私の霊は私の救い主である神をたたえます。… 私の救い主である神さまを心から喜びますと言っています。神さまを非常に喜びます。大喜びします。といって神さまを賛美しているのです。
このような深刻な状況の中で,マリヤは神さまを心から賛美することが出来ました。それはどうしてでしょう。 「この卑しいはしために目を留めてくださったからです。(48節)」と賛美したとおりマリヤは,神さまの前に出て,自分が卑しいはしためだということを受け取りました。神の前でいかに自分が卑しいか,取るに足りない何一ついうころができない価値のないものかかということを心から認めることができました。その無価値な私に神さまが目を留め,神さまにある大きな役割を与えてくださったことがどんなにすばらしいかということを感じたのです。
イエスさまは,その心低いマリヤの胎にお入りになり,マリヤからお生まれになりました。神ご自身が心低いお方です。それ故にイエスさまをとことんまで低い所に置かれました。イエスさまは,人間がくださるどん底にくだり,十字架にかかり,人間として最低の姿にまでご自分を落としてくださいました。イエスさまは,罪人を救うためにこの世に来られました。神から離れ,罪を犯し,自ら滅びの道を歩むしかない罪人の身代わりに十字架にかかり,魂を救い,命を与えるためにこの世にこられました。イエスさまが,心低く,自分の罪や弱さを心から認め,自らを卑しいはしためとするマリヤからお生まれになったのは神さまの御心だっただと思います。神さまは,マリヤが自らを卑しいはしためとする心ひくい者だったから目を留めてくださったのです。
2 心低い者に与えられる祝福
49後半から53節までをよく読んでいくと,心低い方向に歩む者と高さの方向に歩む者を対比しています。
主を恐れる者と心の思いの高ぶる者を対比します。そして,心低い者には主の憐れみがあり,心の高ぶる者は追い散らされます。力のある者と低い者を対比します。そして,低い者は高く引き上げ,権力のある者を王座から引き下ろします。飢えた者と富む者を対比します。そして,飢えた者をよい物で満ちたらせ,富むものは何ももたずに追い返されます。
このマリヤの賛歌がマリヤからお生まれになるイエス・キリストによって実現していきました。マリヤの賛歌はイエスさまにあって現実になります。イエスさまの歩みは,心低い者に憐れみを注ぎ,低い者を高く引き上げ,飢えた人をよい物で満ちたらせる歩みでした。そして,イエスさまは,十字架と復活において,自分の罪を心から認める心低い者を救ってくださいました。
マリヤが賛美したことが,マリヤからお生まれになるイエスさまによって成就しことを私たちは心に留めたいと思います。私たちの心には高く登る方向に歩みたいという思いがあります。自分の活動,行動が否定されたらやっていけないと思います。しかし,神さまはマリヤが賛美したとおり,心の低い者を祝福されるのです。イエスさまによって,私たちがイメージしている高さの方向に対する逆転が起こるのです。だから,私たちが目指すのは心の低さを求める方向なのです。
3 マリヤの思いを超えた神さまのご計画
マリヤは,生まれてくるイエスさまはイスラエルにあわれみ,助けてくださると神さまに賛美します。イエスさまが生まれてくる時代,イスラエルはすでに滅ぼされていました。イスラエルの国はローマの領地になり,その支配を受けていました。当時のユダヤ人は,旧約聖書の預言に基づいて,必ず,イスラエルにメシヤ,救い主が現れると信じていました。メシヤはキリストともいいます。必ず,キリストがイスラエルを復興させてくださると信じていました。マリヤもメシヤ預言を当時のユダヤ人の信仰と同じように信じていました。そして,マリヤから生まれるイエスさまが,メシヤとなりイスラエルを復興させてくださる信じていました。
マリヤの賛歌から2000年たった現代の目からするとどうでしょう。イエスさまはメシヤ救い主となられました。しかし,その姿はマリヤの思いをはるかに超えていました。イエスさまの救いはイスラエルだけではなく全世界に及びました。この2000年の間に,確かに,神さまはイスラエルを復興させてくださいました。しかし,メシヤとしてのイエスさまの働きは,政治の問題だけではありませんでした。全世界の人間の罪から救ってくださる,全世界の人々魂の救いを与えてくださいました。神さまのご計画はマリヤの思いをはるかに大きく超えていたのです。
これは私たちの歩みにもいえることです。私たちはただ,神さまの前に低くなり,空しいもの弱い者として歩むだけです。しかし,神さまのご計画は私たちの思いをはるかに超えてすばらしいことを実現してくださるのです。
(2021年12月12日 石原俊一 兄)